「循環器トライアルデータベース」開設5周年記念座談会大規模臨床試験は治療と医師の意識をどのように変えたか
永井(司会):「循環器トライアルデータベース」の出発点は,書籍「循環器トライアルガイド1999」「循環器トライアルガイド2000」でした。これらの書籍の発行後,急速に情報が集積してきて,年1回の改訂ではタイムリーさに欠けるようになり,頻繁に更新できるインターネットの利用に踏み切り,2001年4月に収録トライアル数460件でスタートしました。現在では約900件となり,いまや循環器関連トライアルに関する日本のデータベースとしては最大規模のものになっているかと思います。今日は重要な臨床試験にふれながら,循環器トライアルデータベースがもたらしたインパクトをお聞かせいただければと思います。 the Lower the Betterの証明
桑島:高血圧の領域では,いくつか重要なトライアルによって高血圧治療のあり方が大きく変化しました。 永井:高脂血症ではいかがでしょうか。
寺本:高脂血症には高血圧ほど多くの種類の薬剤はありません。スタチン系の薬剤をどの疾患にどのように使うと効果があるのかが検討されてきました。そのランドマーク的な試験が4S6です。これにより冠動脈疾患の二次予防でのスタチンの必要性が明らかになり,米国のガイドラインを変更させるものとなりました。エビデンスの重要性を認識させた試験だといえます。 永井:スタチンには多面的な作用がありますから,サブグループ解析がいろいろ進んでいますね。 寺本:一つのトライアルにサブグループ解析が常についてきて,それをもとに次の本格的なトライアルが組まれています。そのよい例が2006年に発表されたSPARCL9です。スタチンは脳卒中にはあまり関係ないといわれていたのですが,スタチンを用いた試験のサブ解析を見ていくと,脳卒中予防効果があるとの考えが出てきました。その結果行われたのがSPARCLです。サブ解析の重要性を示したと思います。 仮説が覆された試験:心不全,不整脈
堀:スタチンのトライアルを見ていておもしろいのは,ネガティブな結果のものがないことです。心不全領域では予想外の結果によって治療法に大きな転換が迫られることになりました。
井上:不整脈の領域でも予想外の結果によって治療法に大きな転換がもたらされました。1980年代までに欧米では,心筋梗塞回復期の心室期外収縮が生命予後を悪化することが示唆されていました。この心室期外収縮を抗不整脈薬によって抑制すれば生命予後が改善されることが期待され,CAST13が行われました。予想に反してプラセボ群に比べてIc群薬投与群で生命予後が悪いという結果になりました。プラセボ群を置く必要性と心室期外収縮は単なる予後不良の指標に過ぎないことが認識され,その後の新薬開発に大きな影響を与えました。 桑島:ALLHATでの心不全に対する影響によってα遮断薬の位置づけがかなり変わりました。また,このトライアルは利尿薬を見直すきっかけにもなりました。
堀:心不全には利尿薬とジギタリスしか治療薬がなかったのですが,利尿薬が心不全の予後を改善するのかというと臨床試験のデータがないのです。利尿薬は廉価な薬なので,スポンサーがつきにくいのですが,わが国でも臨床研究を行う必要があります。 EBMの功罪 永井:では,EBMはどのように臨床に影響を与えているのでしょうか。
寺本:以前はサロゲートマーカー,たとえばコレステロール値とか,血圧値などをみていました。しかし,最終的に知りたいのはハードエンドポイントです。そのためには大規模試験にしないと統計的に証明できない。スタチンの試験,たとえば4千人以上を登録した4Sが目標にしたのは,死亡率の低下効果をみることであり,見事に成功しました。 永井:大規模臨床試験はお金と時間がかかる割には,得られる結果は限られていて,どの程度一般化できるかにも問題がありますね。もっときめ細かいトライアルがなされるべきだろうということでしょうか。
堀:大規模試験ではサロゲートエンドポイントからハードエンドポイント,すなわち死亡に評価の焦点が移りました。これは,いまでは当然のことと考えられるようになりましたが,以前はそうではありませんでした。サロゲートからハードエンドポイントまで長い時間があるからです。抗高脂血症薬によってコレステロール値が下がっても,下がってからどのように患者さんをきめ細かくケアするかによって,予後は大きく変わると以前は考えていました。しかしいまでは「この薬をここで投与したから,その後心筋梗塞をおこさなかった」というように考えるようになりました。 寺本:最近,臨床試験にPROBE法が導入されてきています。PROBE法では割り付け後の治療は担当医師に任されます。その結果,途中でいろいろな介入をして,死亡では差が出ないということになります。堀先生がおっしゃるように,“罪”としてそのような単純な発想が出てきたけれども,PROBE法が出てきて,次の方向性を探し始めているという気がしています。
桑島:PROBE法は現実の診療に近く,比較的取り組みやすいという利点はありますが,客観性に乏しく内的妥当性もやや落ちる欠点があります。投薬内容を知っている担当医の意図的介入の懸念もあります。とくに最近の日本のトライアルで採用されていますが,狭心症やTIA(一過性脳虚血発作)はエンドポイントとしてPROBE法になじみません。PROBE法を用いるのであれば途中の医師の介入の程度を限定するか,介入度を公表するなどの措置をとる必要があると思います。 永井:逆に,エビデンスがない薬剤は価値がないのかという問題が出てきますね。 桑島:廉価な薬はエビデンスをつくれないので,よい薬が埋もれていく危険性があります。 井上:わが国でのみ使用されている薬のエビデンスはわれわれが作り出してゆく必要があります。しかしそのエビデンスを作り出そうという機運はなかなか盛り上がりません。 「循環器トライアルデータベース」の今後のあり方 永井:では最後に循環器トライアルデータベースの今後の課題について伺いたいと思います。今後,このデータベースに何をつけ加えていって,どういう使い方をしていったらよいのでしょうか。 寺本:あるべき医療の姿をトライアルの中から読み取れるような方法を考えていく必要はあるのではないかと。そういう意味で,循環器トライアルデータベースで編集委員・執筆委員がコメントをのべたり,試験をレビューするのは重要なのではないかと思います。 永井:このようなネットでアクセスできるデータベースができたおかげで,ベテランであろうと,駆け出しの人たちであろうと情報を入手できるようになりました。 寺本:一定のレベルの知識は得られます。でも,その知識を生かすには医師が患者さんをどれだけ見ているかが重要です。エビデンスを利用する場合には,必ずその前に必要なことがあるのだということを認識していないといけない。 永井:情報学というのでしょうか,このデータベースをはじめ,いろいろな情報から個々の患者に対応する知識をどうやって生み出すかというのが将来の課題でしょう。 桑島:大規模試験が増えてくると,メタ解析のあり方もいろいろ論議を呼びます。都合のよいトライアルだけを解析に採用するという問題が出てきます。それをこのトライアルデータベースではどのように扱ってくるかというのは,もう一つの課題ではないでしょうか。 堀:たとえば「治療方針決定ロボット」のようなものができて,患者さんのデータを入力すると「第一選択はこの薬の組み合わせです」と,ガイドラインに沿ったものが順番に打ち出されてきて,OKボタンを押したら,処方箋になる。そういうことをわれわれは望んでいるのか。そうなってしまうと,ロボットのデータに反映されていない因子が全部無視される。これでよいのかということですね。いまの医師の半分ぐらいがそうなってきているのではないかという危惧もあります。 永井:知識だけなら,患者さんも同じように情報にアクセスして,同じようなレベルになりますね。そのときに,臨床側は何を提供できるのかが問われる時代になったといえます。 井上:エビデンス一辺倒から個々の患者さんに応じたテーラーメード医療へのシフトが強調されるようになりました。エビデンスで示された標準的治療を基本において,目の前にいる患者さんの治療を個別化して行く「医者の腕を磨くこと」が必要な時代になっていると思います。 堀:医師が患者さんに説明できる知識・経験を持っておかないといけません。ガイドラインから逸脱した治療をするときにその根拠をきちんと説明できないとだめですね。 永井:1995年にSackettがLancetに“Evidence−Based Medicine”の意味を示した論文を発表しました20。EBMは個々の医師の経験を無視しているような印象があるけれども,その論文では基礎科学を踏まえ,あらゆる知識を動員して,個々の患者に最適の医療を提供するのがEBMだといっていますね。テーラーメード医療ともいえます。単に大規模臨床試験の結果を集積したものがそのままEBMになるわけではないのだと。 桑島:臨床試験の知見と,自分の経験,そして患者さんの状態から考えるということですね,三位一体ということですね。 寺本:現在は違う方向に向いていますよね。それを戻さなければいけない。
永井:過去20年間に多くの介入試験が医療の実践の場に導入されました。おそらく科学の歴史の上でも,非常に大きなインパクトのある時代だったと思います。しかし,この変化に日本は立ちおくれてしまいました。われわれは成果の導入ばかりではなくて,科学をつくり出す場に参画していかなくてはなりません。社会的な問題,倫理の問題に一つひとつ向かい合って,新しい科学,新しい医療をつくるダイナミックな時代にあるのだと思います。 1 SHEP[シェップ]:Systolic Hypertension in the Elderly Program JAMA. 1991; 265: 3255−64. 2 Syst-Eur[シスター,シストユーロ]:Systolic Hypertension in Europe Lancet. 1997; 350: 757−64. 3 PROGRESS[プログレス]:Perindopril Protection against Recurrent Stroke Study Lancet. 2001; 358: 1033−41. 4 ALLHAT[オールハット]:Antihypertensive and Lipid-Lowering Treatment to Prevent Heart Attack Trial JAMA. 2002; 288: 2981−97. 5 VALUE[バリュー]:Valsartan Antihypertensive Long-term Use Evaluation Lancet. 2004; 363: 2022−31. 6 4S[ヨンエス]:Scandinavian Simvastatin Survival Study Lancet. 1994; 344: 1383−9. 7 HPS[エッチピーエス]:Heart protection study Lancet. 2002; 360: 7−22. 8 CARDS[カーズ]:Collaborative Atorvastatin Diabetes Study Lancet. 2004; 364: 685−96. 9 SPARCL[スパークル]:Stroke Prevention by Aggressive Reduction in Cholesterol Levels N Engl J Med. 2006; 355: 549−59. 10 PROMISE[プロミス]:Prospective Randomized Milrinone Survival Evaluation: N Engl J Med. 1991; 325: 1468−75. 11 CONSENSUS[コンセンサス]:Cooperative North Scandinavian Enalapril Survival Study: N Engl J Med. 1987; 316: 1429−35. 12 DIG[ディグ]:Digitalis Investigation Group N Engl J Med. 1997; 336: 525−33. 13 CAST[キャスト]:Cardiac Arrhythmia Suppression Trial N Engl J Med. 1991; 324: 781−8. 14 Br Heart J. 1975; 37:1022−36. 15 MDC[エムディーシー]:Metoprolol in Dilated Cardiomyopathy Trial Lancet. 1993; 342: 1441−6. 16 U.S.Carvedilol[ユーエスカルベジロール]:U.S. carvedilol heart failure study group. N Engl J Med. 1996; 334: 1349−1355. 17 MERIT−HF[メリットエッチエフ]:Metoprolol CR/XL Randomised Intervention Trial in Congestive Heart Failure Lancet. 1999; 353: 2001−7. 18 CIBIS II[シビスツー]:Cardiac Insufficiency Bisoprolol Study II Lancet. 1999; 353: 9−13. 19 COPERNICUS[コペルニクス]:Carvedilol Prospective Randomized Cumulative Survival N Engl J Med. 2001; 344: 1651−8 20 Sackett D. Evidence-based medicine. Lancet 1995; 326: 1171.
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